里山の風景

日本人にとっての里山


里山とは、人が住んでいる集落の近くにある山を指していいます。とくに昔は今日のように、お風呂を沸かすためのボイラーなどはありませんでした。そのため山といえば、お風呂を沸かす燃料用の薪を採取したり、食事用の山菜を採取したりと無くてはならない存在でした。ここでは、そんな里山についてご紹介いたします。

里山の歴史

人の生活と密着していた里山

かって人が住んでいる集落の近くにある山は、里山と呼ばれて人の生活と密着したものでした。例えば、毎日お風呂に入るためには、お風呂を沸かす燃料としてが必要でした。あるいは、農作物を栽培するための肥料も、里山の落ち葉や小枝を採取して肥料代わりにしていました。

さらには、わらびやゼンマイなどの山菜、あるいはタケノコなども里山から採取することで、貴重な食糧源にしていました。おまけに里山で適度な量の木材を採取することで、里山には光が入るようになり様々な生き物の住処ともなっていました。

里山と人の暮らしとが分断状態にある今日

近年では、人々が生活するための燃料には石油やガスが使われるようになりました。そのため、かっては燃料源として必要不可欠でもあった薪も里山で採取する必要がなくなりました。また、肥料代わりに採取していた落ち葉や小枝も同様です。

落ち葉や小枝に変わる化学肥料が登場するようになると、毎回里山で落ち葉や小枝を採取する必要もなくなりました。そのため、今や里山はほとんど必要のない存在となっています。おまけに、宅地開発によって里山がどんどんと失われていったり、逆に人が立ち入ることのできないような荒れた暗い森林と化しています。

その他詳しい記事はこちら → 里山とエネルギー・森林資源

里山が注目されている理由

里山への回帰

手つかずの荒れ放題の自然風景よりも手を加えられた自然の景色のほうが断然よいといいます。それは荒れ放題の前栽と、日本庭園のようにキチンと管理の行き届いた前栽とを見比べてみても明らかです。もちろんそれは人それぞれの感性にもよるので、人によっては荒れ放題やありのままの自然風景のほうがよいという方もいらっしゃるかもしれません。

また、都会での生活で精神的に疲れ果てた方や定年退職をしてから、老後癒しやゆとりのある暮らしをしたいということで田舎暮らしを始める方々も年々増えています。かって田舎の生活がイヤになって、都会で暮らす方が多くなったケースとは真逆のパターンです。それこそ、里山や田舎暮らしへの回帰と呼ぶことができます。

里山が喪失される危機感からの保全活動

戦後の経済改革や石油燃料の発展、あるいは都市部への人口流出などから、かっての里山の機能というのは今やほとんどないに等しいといわれています。ところが都市部に人口が集中する中で、その都市部にもたらされている空気や水は、里山を始めとした自然が供給しているものであることはいうまでもありません。

また都市部に近い里山では、雨水が里山や森林の土壌に浸透する過程において水質が浄化されるようになっています。従って里山や自然環境を保護するという観点から、里山を始めとした自然環境の保全活動が注目されつつあります。おまけに、各地域の里山保全委員会やボランティア団体など、参加者の人員も年々増える傾向にあります。

持続可能な社会への道標

持続可能な社会とは

持続可能な社会とは、地球の自然環境が保全されて将来において損なわれない程度に、今を生きる世代の要求を満たすような社会をいいます。そうした自然環境の中には、動植物などの生態系の保存というのも含まれています。

例えば、魚を沢山捕れば捕るほど飢えを凌ぐことができます。ところが、成魚を捕れる限り捕ってしまうと、それこそ翌年稚魚が育たないことになってしまいます。そういう面では、将来に悪影響を及ぼさない程度に、最大限の利益を得ようといった持続可能な社会という考え方はとても大切だといえます。

里山の文化こそ持続可能な社会への道標

薪を採取して燃料源にしたり落ち葉の肥料への利用、あるいはわらびやゼンマイ・キノコなどを貴重な食糧源にするといった里山の文化は、まさに持続可能な農業を支えるためには大切なことでした。おまけに、薪を採取しすぎた場合には、植林をしながら里山の樹木が途絶えないようなことも行われていました。

そうした里山の仕組みや知恵というものは、今を生きる人々にとっても持続可能な社会への大きな道標とすることができます。一方、もし石油資源を使い果たしてしまったり、地球環境を汚染しつくしてしまうと将来生まれてくる人は大変な目に遭います。

まとめ

里山の仕組みや歴史的な流れについてご紹介しました。現代に生きる私たちにとっても、里山の文化を学ぶことはとても大切なことであるといえます。